海の上を漂流しているとき、彼女はヴラドの無茶な行動の理由と彼の人となりに強い興味を持ち、特殊なある種の「霊体化」を行いその心に入り込んだ。誰もが秘める胸の中の心と記憶。「心象風景」とでも呼べるだろうか。卿はほぼ自由自在にその中をくまなくのぞきこむことが出来た。その行動の是非はまだ幼い卿にはあずかり知らぬことである。ヴラドの心の中に入った時、まずたどり着いたのは真っ暗な入口へ続く石造りの通路だった。時刻はおそらく昼間で、ホコリっぽく、高い位置に設けられた通気口から差し込むのは強い陽の光と砂埃。加えて半分程地下に位置しているようだ。卿の知識からしても、間違いなくこれは闘技場の通路だった。卿が入口へ近づくと、登りだという予想を裏切り、階段は地下深くへと潜っていくものだった。どこからかかすかに人々の歓声や悲鳴のようなものが聞こえる。観客たちだろうか。卿はゆっくりと階段の方へ近づき、下へと潜りこんでゆく。一定の間隔で明かりがともされている。入ってきた入り口からは明かりが差し込んでいたが、段々と暗くなり、かすかに照らされる石の段差が視界の下にちらちらと見えるまでになった。いつしか観客らの声も聞こえなくなっていた。しばらく下っていくと突然、無数の棘のような影が壁を伝って行く先から現れ、光を飲み込んでゆき、何も見えなくなった。卿がおろおろしているうちに、遂には目下の階段が闇そのものに溶けた。浮遊していた卿は落ちることなどないはずだったが、完全に闇になった空間の下へと一気に落下した。卿はすぐにいつものように術式を解き、脱出を試みたが、何かが起きる気配は全くなかった。しばらくしてどすん、となにかの上へ落ちた。落ちてきた高さの割に、どこも痛まない。辺りを見渡すが、何も見えない。すると卿は、だんだんと身の自由が利かなくなっていることに気が付いた。段々と影体中に巻き付いてきているのか。懸命に術式解除を唱えながら抵抗する。影が卿の小さい体を包み込んだ時、内側から花火のような光が湧いた。炎の呪文だ。続けて卿は蛍のような光の玉を頭上に発現させる。弱弱しく頼りがいのない光にも影は一時わらわらと燃えちぢれて卿を解放したが、また足元に這いよる機会をうかがっている。卿は角に「絡まった」影を取り除こうとしてはっとした。これは影でも闇の魔術の類でもない。髪だ。途方もない量の髪の毛が、この空間をすき間なくみっしりと埋めているのだ。卿の眼にみるみる涙がたまる。灯明の呪文が映し出したのは、うねうねと流れはい回る髪の海だった。するとその中から、なにか白い塊が髪をかき分けて現れた。人間の背丈ほどもある大きな白い塊、それは女の顔。目は落ちくぼみ瞳はなく、真っ黒なガラス玉のような眼球がはまっている。鼻はそぎ落とされ、口からはとめどなく髪の毛が吐き出されている。顔はどんどんこちらへ近づいてきていた。一歩も動けない。遂に鼻先まで卿に近づいた。声が出ない。女の顔は大口をあけて卿の身体を飲み込もうとする。めきめきと顎が鳴り、口が裂ける。裂けた傷口からまた髪の毛が噴出した。口の中の髪の渦が卿の身体に触れかけたその時、若い男の声が轟いた。「やめろ!毎度毎度気色ワリーんだよこのクソババア!」飲み込まれそうになっていた卿の後ろで強烈な光が巻き起こる。そして、卿の頭の上、丁度顔の上唇のあたりに、金色の短刀が突き刺さった。女の顔はそこで初めて大きすぎる悲鳴を上げた。頭が割れそうだ。卿は強く瞼を閉じて耳を塞いだが、とても耐えられそうにない。気が遠くなる。すると後ろから先ほどの声の主と思しき若者の腕が体にするりと手を回し、強く抱きかかえられた。「上がるぞ!気ぃ失うなよ!戻れなくなんぞ!」若者は膝を曲げてしゃがみこむと、そこから垂直跳びで一気に暗闇の上と飛翔した。ものすごい速さだ。眼下に絶叫する女の顔はみるみる小さくなる。卿は顔を上げて、自分を抱きかかえている若者の方を観た。現れた時から輝いているのは若者の金色の髪だった。長く腰まで伸ばしている。どこかで見たような顔立ちだった。誰かに似ている。そうだ、船長だ。若者はかつて卿が助けた船長に瓜二つであった。「せんちょう・・・?」卿は若者に尋ねた。「ん?おれは船長なんかじゃないぜ。守り人ってやつだ!船になんて乗ったこともねーよ!おれは、おれのなまえは、ル…なんだっけ?なんてこった、忘れちまった!とにかく、おれはあのババアを見張るのが仕事だ!おまえなんだってこんなとこに来たんだよ!バカだなあ」「ごめんなさい…」「まあ、いいよ!あのババアがいなくなったら、また来いよ!ここはひどくさみしいからな。お、ついたぜ!とっととかえんな!」暗闇の先から、ぼんやりと光をはなつ何かが見えた。巨大なステンドグラスか絵画のような人物画が暗闇にずらりと並んでいる。うち二人はすぐに分かった。髪は短いが美しい金色。端正な褐色の顔、船長だ。正面を向いてサーベルを抜き、高く掲げている。満面の笑みだ。もう一人は城で見た騎士だ。こちらはこちらに背をむけてこちらに目線だけを投げかけている。長い髪で表情はわからないが、固く結ばれた口元だけが見える。二人のすきま間を抜けて飛んでいると、視界が突然真っ白になった。若者もまたけむりのように消えてしまい、またも卿は強烈な落下を感じる。ぎゅっと瞼を閉じ、衝撃に備えていると、若者の声だけが頭に直接だが優しく響いた。「弟の事、頼むな」落下感は突然に消え去り、元いた海の上で目が覚めた。卿の手には一本の金色の長い髪が絡みついていたが、卿がそれに気付き握りしめようとする前にほどけて海のかなたに消えた。つづく。あとがきなんで書いたのかわからない上に文量が少なくて展開超早いしよくわからない良い感じに締めようとしたよくわからないオチ。でも書きたかったからええんや。満足!おおきなのステンドグラスの中にはもちろんグリモワール師などもいて、ヴラドの生きる道しるべになった人たちが描かれています。んでヴラドの作り出したルカの記憶や魂みたいなのがそれらを飲み込もうとしてる母親の呪いから護っている、的なイメージです。妄想にしてもキャラ愛半端ねえし臭いよ!臭い!このあとがきも臭い!臭いよ!