くらいくらい黒の空に浮かぶひとつの光。日毎に丸くなってはしぼむ不思議なひかり。小さなけものはその光が大好きでした。暗闇でしかしっかりと見られない、そんな不思議なひかり…そのひかりを浴びるだけで心が満たされるのでした。
「卿、あれは月と言うのである」
ぼんやりと眺めていると後ろから聞こえる声。小さなけもののカーエデール卿を作ったツバキ博士の声でした。博士の声はいつも優しく自信に満ちているように思えます。彼はそんな博士が大好きでした。
「つき、か。いいねー、月。吾輩だいすきだよ」
「ウム。卿のエネルギーは月光を源にしてあるのである。よーく浴びておくである」
ニカッとご自慢のギザギザ歯を光らせて笑う博士。カーエデール卿も思わず笑ってしまいます。
博士や博士の助手であるDのいる科学班は、この世界にある大きな陸からすこしばかり離れた島にあります。周りの様相はどこの地域とも違う色をしているけれど、空から降り注ぐ白銀の光はどこにいても変わりません。
「月の力には諸説あって、古くから満月になると変身する生き物がいると言われているのである。吾輩、その説は大いにあり得ると思うである。なんとか使えれば或いは…」
ツバキ博士はたまに話しかけているのか、独り言なのかわからないトーンで呟きます。そんなときは決まっていいアイデアが浮かんでいるときです。卿はわくわくしながら、ふと博士の呟きにあった『変身』という言葉に思い当たる節がありました。
(あのとき、吾輩、へんしんしてたのかな?)
二人の見知った人たちが戦う。そんな瞬間を吾輩はただ窓の陰から見つめるしかなかった。
いろんな人たちが戦って怪我をして、息耐えていった。種族違いでケンカしていることは、前に黒い豊かな髪をもつ騎士さんから聞いていたけれど、あの日は違ったんだ。
(なんでおなじヒト同士なのに戦うの?)
吾輩にはきっともっと計り知れない何かがあったのかもしれない。
あの日も月がすごく丸くてきれいな日だった。海に映る光を見ながら月光浴をしていると、海の近くに佇む城にかけ上る、たくさんの兵士さんたちが見えた。松明を掲げ、駒に乗る兵士さんの中に見覚えのある緩やかに波打つ黒髪の騎士がいる。
(ジルキオさんだ。…すごく怖い顔してる)
ブルッと震えながらも、一体何をそんなに急いでいるのか吾輩は気になって、その城の回廊奥で輝くステンドグラスまで飛んでいくことにしたんだ。
月光を照り返してキラキラ光るあのお城のステンドグラスは、吾輩のお気に入り。
(ステンドグラス、見に来たってわけじゃ…なさそうだよね)
お城に近づくにつれて、鼻をつく鉄のような臭いが充満していた。
ーーーこれは、ヒトの、血の臭いだ。
やっぱり引き返そう。咄嗟にそう思い直したその時、ステンドグラスの前に人影が見えたんだ。なんとか中が見える場所に潜り込むと、そこには右側は白銀に流れる髪、その反対はすっぱりと剃りこんだ特徴のある髪型に上半身には入れ墨を持った人物の後ろ姿が見えた。
(あれってせんちょうの横にいた、ヴラドくん…だよね?)
(ヴラドくん、ジルキオさんと戦うの?)
(なんで?)
頭のなかで疑問符がグルグルしてしまう。お話をするだけじゃないことはすぐ雰囲気でわかった。あまりにも殺気と興奮と熱気が満ちていたからだ。
回廊からかけ上がる多くの足音が近づいてくる。
ヴラドくんを見つけて何やら話す声がして、兵士たちがざっと詰め寄るのが見える。…と、その時ジルキオさんの一声で彼の脇を抜けていくようだった。
(なんだ、戦わないんだね)
吾輩がほっとしたのもつかの間、兵士たちがいなくなってから、今度はヴラドくんとジルキオさんが対峙したんだ。そして…
吾輩はただ怯えながら、二人の戦いをみつめて、怯えながらもどこかで剣と剣のぶつかる音や飛び回る姿に興奮して見いる。
(どっちも…無事でいて)
幾度か交わす剣の音、空を切る音。そして。
互いに何かを話し、もう一度、鋭い一太刀。
吾輩は二人の殺気に気圧されて思わず目を抑えた。…恐る恐るもう一度、二人に視線を合わせると、ジルキオさんがしゃがんでるのが見えて、声を出しそうになった瞬間、今度はヴラドくんがこちらに駆け寄ってくるのがわかったんだ。
「ヴラドくん!」
吾輩が叫んだと同時にステンドグラスを割って城を飛び出す彼を、ただ救うことしか浮かばなかった。片腕があったはずの断面から多量の血が舞い、眼下の海に落ちていく。吾輩も必死で
落下速度に合わせて彼にしがみつく。
(このままじゃ海面にぶつかる!!)
必死に勢いを止めようと精一杯の力でヴラドくんを持ち上げようとするけれど、吾輩の非力さに涙がこぼれた。
(いやだ!いやだ、吾輩、ヴラドくんを助けたいよ!)
不意に羽が大きくなった気がした。いや、羽だけじゃない。さっきまで小さかった手足が、小さなケモノではないヒトの手足になっていたんだ。
これなら、きっと、飛べる!
海面スレスレを滑空して、すぅっと飛行する。抱えられた彼の爪先が水切りのように海面を跳ねる。もっと高く飛べればと思ったけれど、それは無理そうで、ギリギリを飛ぶのでやっとだ。両腕でヴラドくんを抱えながら、いつもよりは力が出たとはいえ、じわじわと支えている腕の痺れに、ヴラドくんとは違うか弱さを感じていた。
(なんとか…もうちょっと離れた陸地にいかなきゃ。)
このまま飛びつづけられる気はしなかった。けれどここで海に落ちたら、腕のなかで気を失ったままの彼と肉食魚のエサになってしまうだろうことは必至だった。
未だに断面から流れる血も心配でならない。とにかく半泣きで飛び続けたんだ。
「…あ、あれ…陸だ!…陸だよ、ヴラドくん!」
「…」
一瞬、目がゆっくり開き、苦しげだった口元にいつもの不敵な笑みを浮かべて、また目を閉じた。
(よかった、まだ生きてる)
ほっとした瞬間、突然力が抜け、ザバッと海に落下してしまう。低空飛行で浅瀬まで着ていたからよかったものの、二人ともいっぱい海水と砂を噛んでしまった。
ぐったりと浅瀬に寝転んで、波の泡立ちに濯がれる。吾輩の身体はもういつものケモノの姿に戻っていた。ふぅ、とため息をついて彼の右腕があった場所を見つめる。
(まだ、やることがいっぱいだ)
「博士、吾輩ってもしかしてへんしん、出来るのかな」
「…ん?卿はもう新月になると…」
博士は言いかけたところでみるみるばつの悪そうな顔を浮かべました。そして唇を真一文字にして言葉を飲み込みました。
「シンゲツ?って何?」
「ゴホゴホ!いや、何でもないである。そうであるな!卿なら変身できる可能性は大いにあるである!」
科学者の魂に火がついたのか、黄金色の瞳をキラキラさせて博士は話します。卿はぼんやりと思い出しながら、クスクス笑いました。
「えへへ、あのね。吾輩、実はもう変身したことがあるんだよ!今一緒に旅してるヒトを助けたときにね、今日みたいな真ん丸の月が出てて…それで多分変身できたんだ」
カーエデール卿の言葉にツバキ博士は目をぱちくりしました。
「なんと?!そ、それは本当であるか?!うむ、うむ、ちょっと待つである。」
博士はバタバタと資料を漁り、Dにも指示を出しながら目当てのものを見つけたようで嬉しそうに卿のもとへ駆けてきました。
「これである」
「これは、なあに?」
渡されたのは銀に光る丸い珠でした。
「これは、いま空に光っている月の石を圧縮して固め、研磨した珠である。月光浴をする時にはこれにも光を浴びせてやるといいのである。まだ効果はないやもしれないが、いつか肌身離さずもっていればいつでも変身できるようになるである」
話を聞きながら、卿はその珠をこねくりまわしては嬉しそうに抱きしめました。
「ありがとう、博士!これで吾輩もっとヴラドくんの役に立てるようになるかな!」
キラキラと嬉しそうに話す卿の頭をなでて、うなずきながら、うむと微笑みかける博士。
「ヴラドくんというと、ああ。卿が吾輩に腕を治してって言ってた子の名前であるな。ここへは生身のヒトが来れる道がないから如何にと考えていたのであるが、卿がこれで長く変身出来るようになれば、無事に連れてこられるかもしれないであるな。その時は吾輩も腕をふるうである!」
博士の言葉にまた嬉しくなって、えへへと笑う小さなケモノ。
ふと、博士はあることに気づきました。
「卿、先ほど『今日みたいな真ん丸の月』といっていたであるな?…ふむ。もしかしたら今日も変身できるかもしれないである。」
「え!…で、でも吾輩あのとき無我夢中だったからどうやってなったのかわかんないよ?」
博士の言葉に驚きが隠せない卿でしたが、どこかワクワクした様子で言葉じりが浮わついたようになっています。今日は満月の夜。海の上には綺麗な真円の月が浮かんでいました。
「一度変身出来たのなら、きっと出来るである。屋上で月光浴をしてみるである」
博士もどんな風に変身するのか、好奇心と探究心で一杯のようでした。
一人と一匹は急いで屋上に飛び出し、いつもより近くで月を浴びることにしました。
「きれいだねえ、博士」
満月をぼんやり見つめながら、いくらか時間がたった時。それは始まりました。月光につつまれて卿の身体は光を放ち、光のなかで羽が大きくなり、手足が延び、体や頭にも変化が見られました。
「これは…」
ごくりと、唾を飲み込み目の前で起きる奇跡にただ目をぱちくりするしかできない博士は、触れるのをぐっと我慢して変化の形態を見つめました。
月光を照り返す白い肌とふわりとした赤い髪と大きな角。薄朱色のひらりとしたドレスに包まれた少女がそこにいたのです。
「博士、吾輩変身…」
手のひらと甲を交互にみつめ、顔を撫でて自分自身の変化に驚く卿と、思わず口をあんぐりさせ、そしてすぐに嬉しそうに歓声をあげる博士。自分が作った生物の変化に研究者冥利につきたのか、本当に大喜びしています。
「大成功である!なんと…そうであったか。卿、ヒト型だとメスなのであるな」
「えっ。あ、あ、ほんとだね。」
へへ、と互いに笑いながらまた月を見上げて嬉しそうに月光を浴びるのでした。
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あとがきと言う名の言い訳
すんません、無駄に長くなりました。ヴラドくんの「初戦」らへんのとこの話と、卿が変身することの話をかこうと思ったらなーんかこう…まとまってんのかなあという感じに;
ジルキオさんとも会ったことがあるていで進めてみました。あっちこっちいくからね、卿は!
ヴラドくんと会話させるシーンいれるつもりがほぼ博士とのフリートークになってしまって。。いつもすんません。
科学班には普通にヒトが入ったりできないようになってて、他国との話も多分卿か別の通信手段で連絡してやりとりしてるのでヴラドくんを連れて腕直すのは卿がいつでも変化できるようになってから或いはエルフのアーティファクトかなんかで移動するかみたいな感じじゃないですかね。(ただ、エルフサイドからは危険地域だから閉鎖してる出入口とか…)とにかく普通に来ても実験体たちに襲われて腕治すだけで済まないはずです。
ちなみに卿はヒト型だとメス→ケモノ型だと雌雄同体です。ここ、テストに出るよ!(出ない)